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戦国小話『忍者』

どうもこんにちは、お久しぶりのドグでございます。
ようやっと夏が終わり、洛中も比較的…うん、比較的、暑さがマシになってきました!これから紅葉へと向けて一直線…に、なる前に、やはり戦国祭りですよね!

太秦が熱くなる日!その日に向けて本日お贈りするのは戦国小話!
テーマはずばり『忍者』!!
覆面をつけた黒ずくめで闇夜を駆ける・・・といった典型的イメージの忍者から、「とりあえずお前ら忍べよ。」と思わず突っ込みたくなるような忍者のキャラクターまで。
それらの原点になった『忍者』というものを脱線しつつ脱線しつつ、というか脱線メインの方向でお話していきたいと思います。


忍者・・・っていうと色々イメージはあると思いますが、最近はマンガやゲームにと色々取り上げられていますよね?
映画化で話題の「カムイ外伝」、原作の白土先生の「カムイ」、マンガの「NARUTO」や「隠の王」、ゲームや特撮なんかもわんさか出てきて、さらに山田風太郎先生原作の「甲賀忍法帳」も有名ですよね。主役に脇役に敵役にひっぱりだこ、忍者って思えばいろんなところにいますね…

さてさて、先ほどあげた「甲賀忍法帳」なんですが、この「甲賀」、「甲賀者」や「伊賀者」なんて言葉、聞いたことはあるんではないでしょうか?
これは文字の如く「甲賀出身の忍者」「伊賀出身の忍者」と言う意味なのですが、伊賀は現在の三重県西部、甲賀は現在の滋賀県南東部にあたります。
そこに忍者の里があって~・・・っていうのが一般的な認識です。甲賀の里とか伊賀の里、とかあとは風魔とかもききますよね。
では、それらの忍者の大元はいったいどっから来たのか・・・・・ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとさかのぼってさかのぼってさかのぼったところ行き着いたのが



奈良・飛鳥時代。


すっ飛びましたよ大幅に。どこまで行くんだ忍の者。
忍者第一号っていうのが、聖徳太子が使っていた人の中に大伴細人と言う人・・・らしいです。その人が忍びだったんじゃないかって言うわけです。
全力で曖昧!それが太古のロマン!そんなロマンあふれる時代にいたっぽいこの大伴さん、大伴さん家の細人さんではなく、大伴氏(が抱えていた)細人=小者というのではないかといわれています。
そして実際「志能便(または志能備)(しのび)」という人たちを使って朝廷内では諜報活動が行われていたとか。謀略渦巻く朝廷内…そんな昔からそうだったんでしょうか?
また、注目したいのが大友村主高聡(おおとものすぐりこうそう)。この人は天文や地理、遁甲を学んだといわれています。
この大友一族は近江にいて、伴氏の祖先らしいのですが、この一族が甲賀忍者の祖先になったのでしょうかね・・・?

さてさて、この遁甲の術って言うものですが、簡単に言っちゃうと人の目をくらましたりして自分の身を隠す術の事です。
実際の忍者の術の中にも火遁の術水遁の術土遁の術木遁の術金遁の術虫獣遁の術なんて言うのもあります。
金遁の術は一説にはお金とか金目のものをまいて逃げるんだそうですが・・・人ごみとかで逃げるなら効果絶大そうですよね。あとは撒菱とか鉄製の武器とかを投げて逃げるとか。
ここで木火土金水と、陰陽道なんかで聞いた事があるようなないような五行の考え方が術の中に出てきます。忍者と言うものは元々そういった修験道や霊的なものとものすごーく関わりが深いんです。


忍者は山で修行する、というイメージがありますが(某教育番組の忍者の学園とかは置いておいて)修験者やお坊さん、山の民なんかも修行や生活は山の中ですよね。
「山中異界」と言う言葉があるとおり、山の中は別の霊的なものの場所として昔の人から恐れられていたわけです。その中にいる忍者もどちらかといえば霊的なものに近かった…と。あくまでこれは発祥の段階ですが、実際忍者が修験者や巫女として諸国を渡るなんて言うこともあったようです。
忍者が集中するときに結ぶ印、「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」って言うあれ。
小さい頃は気合入れて言ったらなんかできるんだって言う漠然としたイメージしかなかったんですが(炎とか出そうじゃないですか?)これは九字護身法といわれるもので、仏教、真言密教などに関わりがあるとされています。ルーツは中国の道教のようです。

真言宗の九字護身法は「大磨利支尊天秘授兵法九字之大事」というそうです。名前なげぇよ!噛むよ!この名前だけでなんかできそうな気もしてきそうですよね。
この秘法は、運気が上昇したり願い事がかなったりとか、悪霊退散の効果があるとされています、危なくなったら唱えてみようかな・・・
ちなみにこの、「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」というのにはそれぞれ両手で組む印や刀を変わりにする刀印がありますが、

集中したいのに刀ないよ!(それもどうかと思うけど)片手ふさがってる!

とか言う若干涙目な状態では、人差し指と中指だけ立てて、後をグーの形ににぎって(チョキの指くっつけた版みたいな)刀の代わり、左手は鞘の代わりにしたようです。
この九字の最後に「龍」「虎」など十種類の文字の中から好きなのを選んで、掌に書いて握ったり飲んだりするって言う法もあったようです。なんか緊張しないように人って書いて飲み込むって言うのとおんなじですよね。現代に生きる忍術(呪術?)って感じなんでしょうか?


こんな風に呪術と関わりの深い忍者ですが、平安時代には、藤原千方と言う武将が、四人の部下を引き連れて千方窟(ちかたのいわや)と言うところに砦を構え、里に下りては暴れまわって朝廷を困らせたといわれています。
その部下と言うのが、山注記三河坊兵庫堅者筑紫坊と言うらしいのですが、それぞれが呪術や謀略、忍具などを駆使して鬼のように戦っていたと言うのですから、武将の部下と言うよりも武将に使える忍びって言ったほうがよさそうな感じです。
ちなみにこの四人、ある日朝廷軍が射込んだ矢文の「草も木も わが大君の 国なれば いずくか鬼の 棲(すみか)なるべし」と書かれた勅歌をよみ、「あー、そうだよね。確かにここは千方のもんじゃないよね。」と納得して、化生(化け物)の姿に戻り自分から奈落に帰ったと伝説が残っています。
さらに千方さんはその後頼みの四人がいなくなっちゃったので逃げ回って、瀬戸ヶ淵と言うところで討ち取られちゃったとか。
ちなみにこの千方窟三重県伊賀市の高尾にあるそうですよ。この歌の刻まれた岩やこの鬼達がぶちあけたと言う風穴なんかもあるそうで・・・・・なんかこう考えるとアクションばっちこいのスタイリッシュな忍者って言うよりかは、ミステリアスな感じがしますよね。


このことから忍者って言うのは様々な元があって、くっついたり変化して形成されて言ったって言うのがわかると思いますが、忍者の源流には全国を渡り歩く芸能集団や「黒田の悪党」をはじめとする悪党の集団などがあったといわれています。
はっきりしないんですよね、だって忍者だもの!正体はばらしちゃいけないんだもの!と、ここは開き直るしかなさそうです・・・


はい・・・はいはいはい、また無駄に長くなってまいりました戦国小話。

まだ戦国時代にもいっていないというこの暴挙!

すみません、また続きます。むしろまだまだ続きます・・・次は戦国時代の忍者メインで!風魔から鉢屋衆から真田十勇士なんかも取り上げていきたいと思います。
では、次回をお楽しみに!



                                     ライター:ドグ doguma.png
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