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うじゅとスタッフの太秦周辺戦国武将縁の地!龍安寺編【後編】

うじゅさんと一緒にスタッフが太秦周辺の戦国武将縁の地をレポートする本シリーズ。
前編に続いて、今回は龍安寺編の後編をお届けします。

それでは早速どうぞ!


CG291.jpg
なんぢゃなんぢゃ皆の者、集まってどうした?

●スタッフ
あ、実は、幸村のほうが兄では?という説もあるそうですよ?

●うじゅ
根も葉もない噂ともいうがのう。

●スタッフ
幸村の幼名が源二郎で、信之の幼名が源三郎なんです。まぁそれだけで、なんの確証もまだないみたいなんですけど・・・たくさんの説があるみたいですよ。

●うじゅ
幸村が兄で信之が弟で昌幸が父殿~こんがらがるぞ!

●スタッフ
そうですね・・・あ、うじゅさん、真田家の家紋って知ってますか?

●うじゅ
そのくらい知っておる!丸い粒が六個並んでおるやつぢゃ。不思議なマークなのぢゃ。

●スタッフ
これは昔の貨幣を模しているんですよ。六個あるのは、六銭が三途の河の渡し賃だからと言われています。いつでも死ぬ覚悟はあるぞ、という意味もあるらしいですよ。

CG292.jpg
石庭であったか!それにしても、幸村の字がどこにもないのう・・・

●うじゅ
戦国武将っぽい考え方でうじゅは好ましく思う。主君のために・・・などと言いだしそうでワクワクするのぢゃ!

●スタッフ
そうですね。あ、主君といえば、うじゅさん、幸村の主君のイメージって誰ですか?

●うじゅ
幸村の・・・か?去年の太秦戦国祭りでは、武田信玄をお館様と言っていた記憶があるのぢゃが・・・

●スタッフ
そうなんです。幸村といえば、武田信玄の家臣というイメージが強いかも知れませんが、実は幸村と武田信玄は直接的な繋がりはないんですよ。

●うじゅ
そのとおりぢゃぁあ!天正年間の頃は信玄入道はすでに亡くなっておる。

●スタッフ
幸村の祖父が武田家に仕えていたことが原因だと思われます。幸村の代くらいには流しの武田家は衰退していました。

CG293.jpg
昔の貨幣を模したものじゃ!

CG294.jpg
湯豆腐屋もあるぞ!うじゅも食してみたいのう

CG295.jpg
立ち入り禁止の看板が立っておる・・・もしや、奥に幸村の墓が?!
●うじゅ
一徳斎幸隆ぢゃな!謙信入道の川中島侵入を阻止しつづけた智将なのぢゃ!

●スタッフ
京都を巡っている内に真田幸村のことがなんだかとってもよくわかった気がします。

●うじゅ
うむ!歴史の話をしながら歩く京都は実に面白いのう!まだまだ行ってみたいぞ!

●スタッフ
ではまた今度、違う場所に行ってみましょうか!

●うじゅ
本当か!必ず連れて行くのぢゃぞ!

●スタッフ
では龍安寺も楽しんだことですし、そろそろお暇しましょう!

●うじゅ
そうじゃな!では、帰るとするか!

CG296.jpg
さらばぢゃ、龍安寺・・・
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