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学生スタッフレポート:武将逸話

こんにちは!今回の更新は学生スタッフがお届けする『戦国武将の逸話』です。

歴史は本当かどうか分からない…だからこそそこに夢やロマンがある!といった感じですが、今回は武将たちのちょっとした小話にスポットを当ててお届けします!

嘘みたいな話でも、その人柄なんかをイメージする上で結構重要だったり、逆にゲームや漫画、自分のイメージしているキャラがこんなことをしていたと考えると…何ていう見方をしてもギャップがあって面白いかもしれませんね!

それでは、戦国小話いってみましょう!


◆伊達政宗◆

幼少の頃に病で右目を失った彼は「独眼竜政宗」として知られ、若くして奥州(東北地方)の半分を平定した武将です。
「伊達男」の由来となったほどの派手好きで、相当の洒落者だったようです。
(スターウォーズのダースベイダーは、黒一色の政宗の具足を参考にデザインされたとも言われています)
この政宗が、江戸での会食に呼ばれる機会があり、魚料理としてヒラメが出てきました。
当時江戸ではこういった裏表のある魚は表だけを食べて裏を残すのがマナーだったのですが、政宗は何も知らずに両面を食べてしまいました。それを同席した武将に指摘されたところ、政宗は逆に胸を張って「仙台ではヒラメに裏など無く両側が表なので、ついいつもの癖が出てしまっただけだ」と言い張ります。
両面に顔のあるヒラメというのは生物学的に考えられないのですが、政宗は自分の失敗を認めようとしません。
しかし指摘した武将も引かなかったため、政宗はとうとうその武将を招いて『両面が表のヒラメ』をご馳走することになってしまいました。
仙台に戻った政宗は、両面が表の魚を捜すようおふれを出します。
政宗が意地を張ったせいで仙台中の漁師が血眼で両面が表のヒラメを探すこととなったのです。
果たして会食から数ヶ月後、仙台の政宗の元を訪れた件の武将の目の前には両面が表の立派な畸形魚の姿が!
漁師たちの必死の捜索のおかげで恥をかかずにすんだ政宗でした。

政宗のプライドの高さと負けず嫌いさがよく分かるお話です。
失敗を認めず逆に開き直る「度胸」と、ありえない言い訳を本当にしてしまう「運」が政宗が戦国の世を生き抜いた秘訣かもしれませんね。



◆直江兼続◆

政宗とたいそう仲が悪かったのが今年の大河ドラマの主人公でもある直江兼続。
上杉家で執政として活躍し、その生涯を主君に尽くした忠義の臣として有名です。
豊臣秀吉や徳川家康からも高い評価を受けていたと言われています。
そんな兼続の政宗嫌いに関する有名な逸話があります。

兼続が主君である上杉景勝と共に大坂城へ行ったときのこと。
伊達政宗が集まった大名たちに当時大変貴重だった天正大判という小判を見せびらかしていました。
大名らは珍しがって小判を手に取っていましたが、兼続だけが素手ではなく扇を取り出して受けとったのです。
これを見て政宗が「遠慮せずに手にとって見ても構わないぞ」と言ったのですが、対する兼続は「いえ、私の手は戦場で采配を預かるもの。このような不浄な物を触っては手が汚れてしまいます」と答えたということです。

これ以外にも、兼続が江戸城で政宗とすれ違った際、挨拶も無しに通り過ぎた兼継を政宗がとがめると兼続は振り返り「おぉ、後ろから見れば確かに政宗公。いつも戦場では後姿ばかりなので一向に気が付きませんでした」と、戦では政宗の逃げてゆく後姿しか見たことがないと皮肉を言い返したというお話もあります。

これらのエピソードを聞くに、仲が悪いと言うよりは兼継が一方的に政宗を嫌っていたように思えます。
まじめな兼継と自己主張の強い政宗では性格が合わないのも無理はないかもしれませんが…



また、兼継の一般的なイメージとは違った一面がかいま見えるエピソードも残っています。
ある日、兼続の家臣が、茶坊主(来客の給仕や接待をする者)を無礼討ちにしました。
しかしその罪は無礼討ちにするほどのものではなかったらしく、殺された茶坊主の家族が怒り兼継に「茶坊主を返せ」と訴えました。
兼続は茶坊主を哀れに思い、慰謝料として銀五十枚を親類に渡しました。
しかし遺族は「生きて返してくれ」と言い張ります。
兼続は「申し訳ないことだが慰謝料で納得してほしい、死人が生き返ることはないのだから」と今度は銀八十枚を渡しますが、茶坊主の家族はどうしても聞き入れようとしません。
すると兼続は「よく分かった。茶坊主のもとにおまえ達を送ってやるから迎えに行け」とだけ言うと、遺族の首をはね、三条河原に「閻魔大王へ 先ごろ死んでしまい、そちらに行った者だが、家族達
を迎えにやるので、こちらの世界に戻して欲しい」という立て札を立てたのです。

この逸話は兼継の機転を表しているようですが、なかなか非情な感じもします。
政宗との件と併せて考えると、本当の兼継は今に伝えられているような「愛と義の人」というだけでなく少々辛口なところも持ち合わせていたようです。

こんな風に、戦国時代にはいろいろなお話がまだまだあります。
たくさんありすぎて紹介しきれないのが残念ですが、これからも皆様に面白いお話を提供できるように、スタッフ一同がんばっていきます!

それでは!失礼しました。




                                              学生スタッフ:ライター

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