スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第三回  戦国小話 「名前」


にどめましてして皆さん、下で自己紹介させていただきましたどぐでございます。

京都・・・暑い!!逃げたい、なつかしの播磨の平野へ逃げたいいいぃぃぃ!!!と思っても撤退を許されず踏ん張っています。
皆さんもこの時期上洛される際は絶対に日焼け対策と水分補給はしてくださいね!


さてさてNOMIさんに続く戦国小話三回目。
今回は【名前】について語っていこうと思います・・・・回が進んできたら武将ピンポイントで取り上げたりもしたいなと思ったりしてます。


それではまず、名前。ですが、現在あるのはだいたい苗字+名前
わたしのど+ぐのように・・・・・・







ごめんなさいちょっとふざけました。

で、名前って言うものは今では変えるためにはちゃんとした手続踏まないといけないんですが、これは国家が国民を把握するために必要なことだからです。
それ以前、今回は戦国時代のお話なので戦国時代で話すと、「俺、大人になったよ!」と宣言して元服して諱(いみな)というものをつけるまでは『幼名』で呼ばれるのが普通でした。
時代劇やゲームの中でも親しい間柄同士が幼名で呼び合ってるシーンとかありますよね。
「犬千代様っ!」とか・・・・
有名どころでは、源義経の牛若丸や兄の頼朝の鬼武者、なんてのもありますが・・・・・ずいぶん荒々しいですね頼朝さん。

戦国時代では、
織田信長 の吉法師。
豊臣秀吉の日吉丸。
伊達政宗 の梵天丸 。
真田幸村の弁丸。
石田三成の佐吉。
加藤清正の虎之助。
毛利元就の松寿丸。


なんてのがあります。
このほかにこの幼名って言うものは代々家に受け継がれていくものもあって、
徳川家の竹千代。
前田家の犬千代。
が代表的です、他にもあげだしたらきりがないくらいこういうことは多いのですが・・・
徳川家では、将軍家と尾張徳川家、水戸徳川家とかで継ぐ幼名も違ってたりします。



さてさて、次は『諱(いみな)』です。
元服するときにつける名前なのですが、日本にはそもそも「目上の人のを名前で呼ぶのは失礼だ」っていう風習がありました。これは中国から入ってきたものなんですが、この諱自体中国から入ってきたものなんです。
よく漫画やゲームなんかで「自分の本当の名前をいられると操られる」というような「言霊(コトダマ)」とか、そういうものが出てくることがあると思うんですが、これはそういう類のもので、実際に、特に目上の人や尊い人、他人の諱自体を口にすることが避けられました。
言っちゃえば諱は「自分の本当の名前」ですね。
武将の名前でまず私たちが思い浮かべるのがこの諱。
織田信長の信長や、明智光秀の光秀なんかがそうですね。
少し特殊な例でいくと、『真田幸村』の『幸村』は諱ではなく本当の名前は「信繁」となります。
これは後々江戸時代で講談などで「真田信繁」が語られるようになったときに、真田家の『通字』(*後で説明します)の幸と、姉の村松殿の村、または徳川家を呪う刀「村正」に由来してつけたのではないかとかいろいろ説がありますが、「幸村」として作った作品が爆発的に売れてしまい、以降幸村が定着してしまった・・・というわけです。
今のゲームや漫画では大体が「幸村」で信繁は教科書に載るくらいなんだそうです。
あと、武田信玄の「信玄」や上杉謙信の「謙信」も出家後に名乗った法諱なので、武田信玄の諱は「晴信」上杉謙信の諱は「輝虎」になります。


で、次は普段皆が呼んでいる『通称、字(あざな)』になります。
これが苗字と私たちが呼ぶ名前(諱)の間にはさまってるやつです。

真田『源次郎』幸村
竹中『半兵衛』重虎
山本『勘助』晴幸
本多『平八郎』忠勝
黒田『官兵衛』孝高(出家後は如水)
明智『十兵衛』光秀
なんかがそうですね。

諱の前に通称が本名みたいになって有名になっちゃってる人も意外と多いです。
けど「伊達藤次郎政宗!」とか名乗ったほうがカッコいいように思うのは私だけでしょうか?


で、大きくなるにつれてその通称のところに「役職名」が入ってくるわけです。
呼ばれ方としては役職名>通称といった感じです。
今でいう「部長」や「支部長」「社長」みたいなもんです。
明智光秀の『日向守』や羽柴秀吉の『筑前守』なんかがそうです。
けどこの名前見たとき「あれ?明智光秀って九州にいたっけ?」とかいう疑問が出てくるわけです。
これは戦国時代、朝廷の権威を利用しようと官位を「くれーくれー」と各地の大名がせまったときに、朝廷は空いている官位を与えるしかなくなったんです。
そして、だんだん与える役職名がなくなり、いろんな土地の統括の役職を与えることになりました。
別に実際治めてたって言うわけじゃありません。
最終的には朝廷は本当に力をなくして、「もういいや、お前今日から○○守名乗っちゃえよ。」ということで勝手に部下に名前つけちゃったりなんてこともあります。
やたらめったら官位が多いんじゃなく、名乗っている人が多い。っていうのも問題ですね。本当は一人のはずなのに・・・
ここで小話をはさむと、本能寺の変のとき、明智光秀が奇襲をかけてきたことを知った信長は「おのれ日州!是非もなし(仕方ない)!」といったそうです。○○守って言うのは元々土地の名前ですから、他の人も他人を呼ぶとき○州殿なんてと呼んでいたようです。
あとは、真田幸村の祖父に当たる真田次郎三郎幸隆という人は、弾正忠という官位を名乗っていたので真田弾正。なんて呼ばれてました。戦国時代には他にもこの「弾正」と名乗る人がいたんですが、武田家の中の有名な三人の弾正を「三弾正」なんて呼んだりしていました。
真田幸隆知略や功績に一目置かれていて「攻め弾正」。他の二人の弾正さんはというと、慎重な采配と見事な退却指揮から、高坂昌信は「逃げ弾正」、保科正俊は見事な槍の使い手だったので「槍弾正」と呼ばれ、三人で「三弾正」と呼ばれていたそうです。こう見ると結構名前かぶってて呼びづらそうですよね、「弾正殿!」って言ったら三人は振り向くわけですし・・・
今でいう、苗字がかぶるのと同じ様な感じだったんでしょうかね?


さて、いよいよ上で言っていた通字のお話に移りたいと思います。
元々日本人の名前って、呼びにくいだろうってくらい長いのが普通だったんですね。坂上田村麻呂とかそういう感じで。
けれど遣唐使が男の人は二文字か一文字の感じの名前、女の人は○子ってう名前を中国ではつけてる。っ手いう風習を持って帰り、平安時代後期にはそれらが定着して以降、先祖代々特定の文字を諱似いれるっていう風習があったわけです。「通字」または「系字」とも言います。
一番有名なのは天皇家の「仁」という文字ですし、他にも徳川将軍家の「家」や平家の「盛」島津家の「忠」、真田家の「幸」なんかもそうですね。
私たちが日本史で似たような名前に苦しめられる元凶はここにあったわけです・・・・
こういった風習は、先祖の漢字を避ける中国や韓国にはないもので、日本独特のものなんです。
昔の人にあやかって~とかよく言いますが、吉川元春伊達政宗なんかは先祖の功績にあやかって、祖先の諱を名乗っています。
他にも、元服の際に烏帽子親という後見人に主君がなった際に、特別に自分の諱を一時与える場合もありました。
「一字拝領」っていうやつですね。毛利「輝」元なんかがそうです。ただし無理やり押し付けたり、外交の手段に使ったりもしてたそうです。



ここまでくると名前もいろいろ隠されているというのがわかったわけなのですが、実はまだ隠れてまして。
「姓」「氏」です。
お前どっちも苗字じゃねぇか!!!という突っ込みもあると思いますが、厳密にいうと違っているんです。
しかしもう結構長くなってきたので、これはまた次回。
キリシタン大名の洗礼名なんかも紹介したいと思ってます。

しょっぱなから長くなってしまいましたが、今回はこれにて。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
それでは、また次回!
スポンサーサイト
コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

| TOP |


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。